キリスト教の番組や「神」をテーマにして、自由にキリスト教を語っています (^-^)v

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「ベツレヘムの星」

何年前だったか日本経済新聞のコラムにクリスマスの話題が載り、当時みのもんたが「おもいっきのテレビ」でさっそく日経の記事にコメントしていました。イエス・キリストがいつ誕生したか福音書はつまびらかにしていない、という話です。

キリストの誕生日論争は不毛です。知的な現代人は、むしろ救世主の誕生は史的な事実なのか否かに決着を付けるべきです。

七曜暦ファンは多いのでしょうか。高島の占い暦はとくに有名ですが、天文学者ケプラーは副業で占い暦を作っていたそうです。彼はプラトン主義に魅せられ、天体の神秘を心底信じていたらしい。イエス・キリスト誕生の時に出現したと伝えられる流れ星、いわゆる「ベツレヘムの星」についても真剣に研究の対象にしていたようです。
…で、彼の研究の成果や如何?

ケプラーにはお気の毒ですが、いくら天体の神秘に想いを馳せても「ベツレヘムの星」は見つかりません。もともと実在していないからです。まだ携帯電話がなかった時代、在天の神からのメッセージはすべて天使が運んでいました。太陽や月、星々の運搬も天使の役目です。ケプラーは有名な天文学者でしたが、宗教についてはまったくのド素人だったわけです。

言うまでもないことですが、聖母マリアのご懐妊を告知したのも天使です。墓場に佇んで、イエスが復活したことを広告したのも天使です。日々大忙しの天使様ですから、クリスマスの夜ともなるとさぞや大量の予定が詰まっていることでしょう。天使さまお体、お大事に。にか
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厚労省認可薬

ある私立病院の事務長から直接聞いた話。癌であれ糖尿病であれ、どんなクスリでもそれがもし本当に効くのであれば1種類だけあれば足りる。それが2種類以上あるということは、結局効いていないからだというのです。今まで1つしかなかったアルツハイマー薬が、最近になっていくつか新しく認可されたそうです。喜ぶのは早い。厚生労働省が効かないクスリを増やしているだけです。

どのような宗教であれ、もしそれが不易の真理であるなら、地上に1つあれば足りる。ところが現状は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教など多くの教義で賑わっています。これはどうしたことでしょう。

先般自然科学の世界で、ヒッグス粒子が話題になっていました。私たちの世界に重力を与える素粒子だそうです。名づけて「神の粒子」。ところがローマ教皇庁は、公然と「キリスト教の神とは無関係」と発表しました。

ヤハウェ神の息子イエス・キリストは、極大の世界に於いても極微(ヒッグス粒子)の世界に於いても、すべてを完璧に支配できているはずです。「キリスト教の神と無関係の神」とはどんな神でしょうか。意味不明です。ヒッグス粒子を否定するバチカンの宗教は胡散臭く、どこか厚生労働省の怪しい医薬品を想い起こさせます。にか

もう1つの「十戒」

国会答弁でいくども失笑を買った田中直紀防衛大臣が、とうとう交代させられました。さて田中真紀子のお父上は、総理大臣時代に自分で勝手に独自の十戒を作った人です。題して「十の反省」、次のようなものです。

1.友達と仲良くしただろうか
2.お年寄りに親切にしただろうか
3.弱いものいじめをしなかっただろうか
4.生き物や草花を大事にしただろうか
5.約束は守っただろうか
6.交通ルールを守っただろうか
7.親や先生など、人の意見をよく聞いただろうか
8.食べ物に好き嫌いを言わなかっただろうか
9.人に迷惑をかけなかっただろうか
10.正しいことに勇気を持って行動しただろうか

クリスチャンのみなさんにお尋ねしますが、田中角栄版の十戒は、旧約聖書の十戒と何か本質的な違いがあるでしょうか。
角サンふうのアレンジで、あらためて十戒を味わってみましょう。

・イスラエルの神だけを信じているだろうか
・偶像を作っていないだろうか
・イスラエルの神の名を徒らに口にしていないだろうか
・安息日を守っただろうか
・父母を敬っているだろうか
・殺人をしていないだろうか
・姦淫をしていないだろうか
・盗みをしていないだろうか
・偽証していないだろうか
・隣人の家をむさぼっていないだろうか

アーメン一派は、<角栄版は人間の言葉>だが<聖書版は神の言葉>だとでも言うのでしょうか。あたしゃどっちもどっち、俗物たちのただの作文としか読めませんけど。にか

エイプリルフール

今日はエイプリルフール。キリスト物語は史上最大の嘘物語です!

「イエスは、彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた」(使徒一・九)などと平然と書いています。んなわけないだろう。<萬有引力の法則>がまだ知られていなかったので、言いたい放題の観があります。

イエス・キリストの本当の誕生日は不明です。4月1日です。にか

神はサイコロを振らない

(中略)そんなことは現実にはありません。ところがそれが現実にあり得るというのです。ただし私たちの日常的な世界ではなく、原子とか電子などという肉眼では見えない世界、極微世界での話です。時間の経過と共に状態が変化し、1と0、有と無、生と死が入れ替わってしまう。あるいは半と丁が入れ替わってしまう。賭博場でもしそんなことが起こったら、丁半バクチのイカサマ師たちは商売が成り立たなくなってしまいます。かくてアインシュタイン博士は憮然として、「神はサイコロを振らない」と強い不満を表明したということです。

太陽も月も予定通りに動き、カーナビの地図もうるう年も計算どおり予測できるのに、極微世界ではそれが適用されていません。マクロの世界とは異なる法則が、ミクロの世界だけに通用しているらしい。自然科学は今も日進月歩の発展を続けているものの、まだ未知の法則が幾つも存在しています。

人間の精神にも物質にも等しく適用される普遍的な宇宙法則がきっとあるに違いない。極大の世界にも極微の世界にも、あるいは人間の喜びや悲しみ、幸運や不運、また動植物の生と死にも等価で適用される究極の法則があるに違いない。私もアインシュタイン博士と同じく、やっぱり神はサイコロを振っていないと確信します。極微世界に見られる不可解な現象も、将来さらに高次の法則が発見された時点ですんなりと説明できるようになるはずです。

北白川スーの信じる神はおとぎ話の神です。神の名に値しません。人の世の生・老・病・死は、最先端科学と同一平面状で科学され哲学されるべき重要なテーマです。そこにバカ宗教・聖書とキリスト教の出る幕はありません。

アインシュタイン博士は次のような含蓄のある言葉も残しています。即ち「神は老獪にして悪意なし」。――桃栗さんは人間の生・老・病・死に「神の悪意」を感じておられますか?

※ブログ『ここがヘンだよキリスト教』の作成者に宛てた私信

4番目の罪

罪と罰の話です。ドストエフスキーの長編小説の論評ではありません。

私たちには3つの罪があります。罪には必ず罰が伴います。作用のあるところに反作用があるように、罪のあるところには罰が生じ、罪のないところには罪はありません。罪と罰は常に表裏として存在していますから、3つの罪は3つの罪と罰と言い換えても同じです。

3つの罪は次のとおりです。

1、他人に対する罪
2、国家に対する罪
3、良心に対する罪

3つです。
3つだけです。「4番目の罪」はありません。

他人の塀を壊せば弁償を求められます。(個人に対する罪)
他人の生命を奪えば刑務所に送られます。(国家に対する罪)
塀を壊して人命も奪ったのに、なお逃げ続けたら良心に苛まれます。(良心に対する罪)
キリスト者にとっては3番目の罪は重要です。あなたたちの誰もが、この3番目の罪を誤解しているからです。

かつてネット上に次のような記事が載っていました。
<年を取った故か、最近、心のわだかまりを吐き出し、すっきりしてしまいたい心境になった。大げさに言うと、私は今日まで何十年か、世間を欺いて生きてきた。戦前、私は義務教育を終えてから尋常高等小学校の高等科へ入ったが、父の事業の失敗などで、2年生の1学期で中退せざるを得なくなった。
担任の先生は「2学期が終わるまで登校すれば、卒業扱いになる。がんばれ。月謝は僕が持つから」とおっしゃってくださったが、家計を支えるために働かなければならなかった。中退後の夏、町内の電気工場へ月給5円で住み込んだ。
そして、海軍工廠や航空通信隊で電気の経験を積んだ。戦後、悪いことと知りながら、高等科卒業と学歴を詐称し、造船所に電気工として入社した。その時から、会社をだましたことへの後ろめたさ、目に見えぬ重圧にさいなまれ、自責の念をぬぐいきれぬまま、定年を迎えた。
そんなことはたいしたことではない」と、小泉首相のように言ってくれる人もいるが、自分が自分を許せない。父母を見送った今、やっと過去を告白する勇気が生まれた。世間の皆さん、うそをついて済みませんでした。どうぞお許しください。(朝日新聞2003年3月13日付/無職・荒川 勝 79歳 大阪市)>

これが良心に対する罪です。例をもう1つ。――大島渚監督が死刑をテーマにして映画を作った時、どうしても本物の死刑執行を見る必要性に迫られ、法務省の関係者を拝み倒して刑場に足を踏み入れたのだそうです。その時に絞首台に上った囚人は李珍宇という朝鮮人で、彼は最初は公共図書館の本を平気で持ち帰って自分の蔵書してしまうような小さな非行から始まって、しだいにエスカレートして、とうとう取り返しのつかない凶悪な犯行に至ってしまいました。

下級審で死刑判決を受けた時の李珍宇の言葉がふるっています。彼は支援者に対して、「私は人間を殺しても少しも人を殺したという自覚が生じない。これは私の人格上の欠陥に違いなく、だから素直に死刑を受け容れ、死と向き合って、人間性の回復を図りたい」と。民事罰、刑事罰はしょせん罪のヴァリエーションです。罪の本質は「良心」にあります。どんな凶悪犯も良心まで棄損するだけはできません。荒川 勝・無職79歳さんの罪はこの世ですでに清算されたと見るべきで、李珍宇の犯罪にしても、死に怯えながら懊悩し苦悶する月日の中で罰の消去作業は進捗し、死刑執行時にはすべての罪は清算されたものと見なければなりません。

キリスト者のみなさん。山よりでっかい獅子は出ません。この世で起こった出来事は、みんなこの世で清算される仕組みです。「民事の罪」「刑事の罪」「良心の罪」の他に、さらに別の罪が本当にあるのでしょうか。ありません。明らかに4番目の罪は、キリスト教会のペテンです。にか

クスリの効能書きを信仰するバカ

「ヨチヨチ歩き」は宗教世界にもあります。

ヨエルなる幼子は自身のブログに、『残りの日を数える意味』と題して、<詩篇90:12「それゆえ、私たちに、自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください」>と聖書の一節を引用して有り難がっています。つまり同作者は、神を崇拝するのではなく聖書(の言葉)を神として有り難がっているのです。同様に私のブログでは、<十戒(盗むな、殺すな・・・)には価値がないのでしょうか?>と私に反問してきました。私は十戒に価値があるとかないとか、そんな幼稚な話に興味はありません。

おしなべて宗教初心者は、「真実の神」と「偽りの神(=偶像)」の区別がついていません。神を信じることと聖書を神の言葉として信じることはぜんぜん意味が違います。それはクスリを信じることとクスリの効能書きを信じることの違い、と譬えれば分かりやすいでしょう。つまりヨエルなる幼子も私のブログの幼子も、どちらも「クスリ」と「クスリの効能書き」を混同しているのです。

クスリを服用するのではなく、クスリの効能書きの方を飲んでしまうようなバカな行為はお止めになるように。きっと健康を害します。にか

lightofwayさんの信仰

少し前になりますが、山上垂訓への批判記事を紹介します。私がパソコン内に保存しておいたもので、キリスト教関連の掲示板に投稿されました。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
12198 返信 偽りの真理 山上垂訓 2010/10/24 21:13

> 【山上垂訓 さん】
>
> 私やあなたのように宗教に懐疑的な人はキリストの復活を信じられないし、天国も信じられない。

> イスラム教の創始者、ムハンマドはキリスト教の天使と共に空を飛んで旅をしました。キリスト教徒からすれば、妄想です。嘘つきです。イスラム教徒からすれば事実なのです。
> 日本神話もギリシャ神話も他から見れば妄想です。信者にとっては事実なのです。
> ダライ・ラマだって輪廻の中にいる。日本人仏教徒にとっても妄想かもしれない。でも、多くの人は彼を笑わない。


私は笑います。イスラムの神であろうと密教の守護神であろうと、偽りの神は嘲笑されなければなりません。

> 次元上昇さんは彼の信じる道を歩もうとしている。

そもそも歩むなどという手続きは必要ありません。目を開けさえすれば、神は私たちと共にいるからです。

> キリスト教徒とである彼はキリストの教えを彼なりに聖書を解釈して

解釈は無用。無限の過去から無限の未来を貫く永遠の真理に、なぜ解釈が必要なのでしょうか?

> 天国が最終目標であるキリスト教徒に対して「妄想」で終わらしたら、世界中の宗教を笑うことになりますし、日本人のルーツである神々まで笑うことになってしまうよ。

偽りの真理は「妄想」です。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

私はキリスト教批判には熱心ですが、永遠の真理(ダルマ。法。道。神)まで否定していません。「聖書・キリスト教を否定すること」は「神を否定すること」とは異なります。

上記の掲示板には、聖書根本主義者を唱える信者も少なくはなかったようです。その中のお1人、 lightofway(現・lamb1yo29)さんはコテコテのファンダメンタリストで、聖書だけが正しく、イエス・キリスト以外には救いはないと確信されていた方です。そんなlightofwayさんに、ある投稿者が次のような異論を表明しました。もちろん一言一句を正確に記憶しているわけではありませんが、趣旨はおおむね次のようなものです。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
いつくしみ深い神は、
ユダヤ教徒にもイスラム教徒にも太陽を上らせ、
仏教徒にもヒンドゥー教徒にも雨を降らせて下さいます。
私はlightofwayさんが、もっと広い心をもって
神さまを賛美されるよう念願してやみません。
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このブログをお読みくださっている諸氏は、心の広い方々でしょうか? 永遠の真理(ダルマ。法。道・神)に背を向け、おとぎ話の幼稚な神にばかりしがみつく時、各宗教間に存する排他性のゆえに必ず無用の対立が起こります。――そのあおりで、私は哀しいことに「神を否定する者」としてのレッテルを貼られてしまっています。にか

ダルマ

10月から放送大学が見られるようになりました。私が視聴したのは「日本国憲法」の初回の講義です。講師は「国際法(条約)は憲法と同等に扱われる」と解説していました。不勉強な私など、てっきり国際的な契約は憲法を超えるものと思っていましたので、さっそく1つ知識が増えました。

「日本国憲法」がキリスト教番組と何の関係があるのかと問われれば、直接的には関係ありません。が、法の世界は仏教にとってもキリスト教にとっても無関係というものではありません。特に仏教は、「法」を説く宗教です。永遠の法は、宗教にとって最重要のファクターであるはずです。

市町村・都道府県の条例が、日本国の法律を超えることは誰でも知っています。先日は公立学校の「君が代」斉唱・起立を命じた都道府県の条例が憲法に違反するかどうかで争われていました。衆参両院の一票の格差裁判は、法律ではなく憲法の問題です。分かり切ったことを確認しますが、条例も法律も憲法を超えることはできません。

憲法を超える法は存在するのでしょうか。自然界の法は憲法を超えています。「神さま。病床の両親が死にかかっています。救って下さい」と呼びかけても、月も星も流れ星も、そんな声は聞いてくれません。生ある者は死ぬのです。それが自然界の法というものです。

では自然界の法をも超越する、さらに高次の法は存在するのでしょうか。自然界の「生起と止滅」を支配する究極の法はサンスクリット語でダルマ、パーリ語ではダンマと呼ばれます。学生時代、パーリ語の授業でダンマの語根を「保つ」の意と学んだことがあります。
「何を、保つんですか?」
「何を保つのでもありません。単に<保つ>です」
「何が、保つんですか?」
「何が保つというのでもありません。単に<保つ>です」
語根をめぐって、そんなやり取りが交わされたものでした。

生まれても生まれなくても、そのことわりは定まっていて法として確立している。現象世界(ビッグバン)があってもなくても存在する、永遠にして不滅の存在です。すべての国の憲法を超え、量子論や相対論をも超越し支配している永遠にして不滅の存在――それがダルマです。

ダルマをどのように訳すかは、日本語のセンスの問題です。一般には「法」と訳す学者が多い。あるいは「道」とも訳せるでしょう。「神」もOKです。ただし聖書の神とはぜんぜん違いますから、クリスチャンは誤解しないように。にか

宇宙人はいない

同じくNHKのサイエンス番組の話題です。
車椅子のホーキング博士が登場して、宇宙人(高度な知的生命体)の可能性を希望的に解説していました。宇宙人は本当にいるのでしょうか。高度な知的生命体の可能性を、みなさんはどのようにお考えになりますか。

宇宙人が現れた時、「地球上の罪と赦しの教義はどうなるのか?」という議論が以前ローマ教皇庁で真剣になされたことがあるそうです。まだ見つかってもいないのに、早々と宇宙人の来訪に備えるなど、バチカンはSFマンガの読み過ぎです。

前回取り上げたビッグバンの神秘とも密接に繋がっていますが、近年「新・地動説」が知られるようになりました。私たちが見ている現在の宇宙が、ほんのわずかでも違っていたら、もう私たち人間は存在していなかったろうというのです。

これは宇宙と人間が、言わば「鍵」と「鍵穴」の関係で成り立っていることを意味しています。「鍵」がわずか1ミクロンでも違えば、もう「鍵穴」には入らない。宇宙とその宇宙を認識する人間は、そのような精妙な関係にあるというのです。宇宙人からの電波を期待する声は今も絶えませんが、「鍵」と「鍵穴」の1ミクロンの差異が知的生命体の出現を冷ややかに拒んでいます。

旧・地動説(笑)を掲げて、世界史の世界に輝かしい汚点を残したローマ・カトリックです。まだ見ぬ宇宙人の心配をする前に、まずガリレオに土下座して、キリスト教会が過去に犯した過ちを反省することの方が先決です。にか

「ビッグバンの神」と「聖書の神」

ブログを持っていることさえ忘れてしまうほど、山上垂訓は怠惰な日々を過ごしています。

ぼんやり眺めるテレビですが、好みは相変わらず宗教関連です。先日は『100分de名著 真理のことば ブッダ』を視聴しました。宗教と同じほどに興味のある番組もあります。自然科学です。生命の起源とか宇宙の仕組みを扱ったものは面白い。「宗教世界の究極の真理」も「科学世界の究極の真理」も、究極のところは必ず一致するはずと私は信じています。

NHKで「ホーキング博士の宇宙 時間旅行(タイムトラベル)は可能か?」というのをやっていました。時間の抜け穴(ワームホール)を利用すると、理屈の上では時間旅行が可能なのだそうです。何のことやらさっぱり理解できませんが。w

物理学の探求には、2つの方向があるそうです。1つは「物質とは何か」という研究。力学とか熱エネルギー、光、磁力など、まぁ義務教育で学んだお馴染みの分野です。もう1つは「物質はなぜ存在しているのか」という研究。現象世界の存在を問うということは存在論であり、物理学というよりむしろ哲学の世界です。宗教も関わっています。

一般人にとっては、天地の始まりとしてはビッグバン仮説として理解されています。物理音痴の私でも知っていほどに、その言葉はポピュラーです。さてそのビッグバンをどんどん遡ると、ゴマ粒1個よりももっと微細な光になるのだそうです。ではその光をさらに遡るとどうなるのでしょう。そもそも光の一点はなぜ生じたのでしょうか。

ネット上にたくさん情報がありました。一例を示せば、

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「…佐藤勝彦氏がインタビューに答えていらっしゃいます」
「しかし、まだ謎が残ります。インフレーションが起きるもとの宇宙というのは、何なのですか」
「理解しづらいと思いますが、実は最初の宇宙は無から生れたと考えられています」
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/5135882.html
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

えっ。
無から生まれた――?
想像と理解を絶します。ビッグバンが1つだけ生まれたのか無数に生じたのかも、誰にも分かりません。何とも摩訶不思議な話です。神秘と言うしかありません。

物質を完全に超えてしまった世界――つまりは超物質世界ということになりますが、おそらくそれはビッグバンがあってもなくてもなおも存在している永遠不滅の存在です。私たちはそれを何と呼ぶべきなのでしょう。私は素直に、「それは神です」と答えることにしています。

ただしビッグバンの神と聖書の神は大きく異なります。創世記の冒頭の記述をお読み下さい。
<神が「光あれ」と言うと光ができた。>
聖書の神の違いは、のっけから明白です。聖書の神は「光あれ」と人語を喋っています。しかしビッグバンの神に人語はありません。人格神と非人格神の違いは重要です。

<夕暮れになり、近づく神の足音を聞きアダムと女は園の木の間に隠れると神は、「アダムよ、どこにいるのか。おまえが裸であることを誰が告げたのか、食べるなと命じておいた木からとって食べたのか」と言われました。>
この一節は聖書がインチキ本であることを如実に示しています。聖書の神は地上にまで下りてくる人間型ロボットの姿ですが、ビッグバンの神はそれとはぜんぜん異なっています。いったい全能の神が、わざわざ「アダムよ、どこにいるのか」と質問しなければならないなど笑わせます。まるで志村けんとバカ殿のコントです。

キリスト教信者は、真実の神と偽りの神を峻別できなければなりません。偽りの神とは言うまでなく聖書・キリスト教の神のことであり、おとぎ話の神のことです。にか

10月の「こころの時代」

「福音書のことば?旧約聖書から読み解く?(7)」。
10月17日(日)に録画した番組です。
「神の結びを人は離してはならない」。平たく言えば結婚の話題です。

神が人間の男女を最初から一緒に創ったという記述と、先に男性を創ってその後に女を造った、という2つの伝承があることを淡々と紹介していました。
草柳「(男女の結びつきについての)根拠はここにあったんですね」
雨宮「そういうことですね」
いかにもNHKの教養番組らしい。2つの伝承について特段のツッコミはありませんでした。

男女の結びつきには当然トラブルも生じます。モーセ自身も離婚を経験しています。
<すると、彼らはイエスに言った。
「では、なぜモーセは、離縁状を渡して離縁するように命じたのですか。」
イエスは言われた。
「あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない。」>
神の結びを人は離してはならないと厳命しながら、その一方でモーセの離縁状はOK、という雨宮さんの何だかよく分からない解説です。

カトリックには離婚自体がないそうです。それは離婚する男女は「もともと結婚していなかった」と考えるからだそうで、まぁただの屁理屈です。ところで昨今は結婚しない男女が増えています。雨宮司祭も独身ですが、一生結婚しない男女の場合はどんな罪になるのでしょうか?にか

5月の「こころの時代」

「福音書のことば?旧約聖書から読み解く?(2)」。
タイトルは「あなたがたは敵を愛しなさい」。5月に録画した分です。

新約では旧約の25倍も「愛」という言葉が現れるのだそうです。バナナの叩き売りみたいです。「愛」の叩き売り。

キリスト教信仰者のうち、敵を愛している人はいますか? 雨宮神父自身、「敵を愛することは私にもできない」と話していました。正直な人です。だったらいさぎよく、さっさと福音書を変更してしまってはどうでしょう。イスラエルなどは今も立派に中東でケンカしているでしょう。さすが聖書の国だけのことはあります。にか

教育テレビ「こころの時代」

長くブログから遠ざかっていました。キリスト教番組「ハーベスト・タイム」が終わってしまって、ツッコミの意欲もはなはだ減退。類似の番組に「ライフ・ライン」がありますが、正直あんまり面白くはありません。

やっと時間が取れたこともあって、久々に録画装置を作動させ、NHK教育テレビ「福音書のことば?旧約聖書から読み解く?(1)」を視聴しました。4月18日(日曜日)に録画した分です。

出演の雨宮慧は、ショボイ爺さんでした。一目ですぐにバカとわかります。第1回のテーマはイエスの最後の言葉。「私の神、なぜ私を見捨てたのか?」に込められた意味を解く、ということだそうです。何をくだらないことを。それは単に大工のオッサンが全能の神ではなかった、というだけ話でしょうが雨宮さん。

大工のオッサンの死に様が、福音書間で必ずしも一致していないことにも言及していました。

(1)三時にイエスは大声で叫ばれた。
「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」
これは、
「わが神、わが神、なぜわたしを
お見捨てになったのですか」
という意味である。(マルコ)

(2)イエスは大声で叫ばれた。
「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」
こう言って息を引き取られた。(ルカ)

福音書間でなぜ一致していないのか。理由は簡単です。もともとの記述がデタラメなので、ごまかしが効かなかったからです。にか

伝道番組「ハーベスト・タイム」1244回

「キリストに出会った中国人」。安藤チャンめぐみさんの出演。

その人は元・仏教徒で、来日時にも仏像を携えていたそうです。昨今仏像ブームとは聞きますが、仏像を崇拝する人は日本でも多くありません。100円ショップにも仏像はありますが、崇拝するためのものではなく、アクセサリーとか小インテリア用のアイテムです。しょせん木片、金属片です。そんなものを崇拝対象にしていた人の気が知れません。

結婚相手の日本人男性がクリスチャン家庭に育った4代目クリスチャン。一緒にキリスト教会に行ったことがきっかけで、クリスチャンになったそうです。「仏像崇拝」から「イエス・キリスト崇拝」への路線変更です。まぁどっちも似たようなものです。

交通事故に遭って一命を取り留めた体験から、「私は神さま(イエス・キリスト)に守られている」と実感したというのですが、しかし本当に神さまに守られていたのなら、交通事故なんかには遭わなかったでしょうに。にか

伝道番組「ハーベスト・タイム」1239回

「カルト宗教にだまされないために」。ウィリアム・ウッドさんがゲスト出演でした。

世界的にカルト宗教による被害が広がっているのだそうです。日本も例外ではなく、「真理のみことば伝道協会」代表ウィリアム・ウッドさんは、被害者たちを救い出すべく活動をしているのだとか。

番組でははじめにカルト宗教を「人間社会に破壊的な結果をもたらす危険な宗教団体」と定義。カルト宗教を表す「5つのキーワード」を挙げていました。
1.独裁的教祖
2.盲従する信者
3.マインド・コントロール
4.自由がない
5.必ず被害が出ている

キーワードは互いに繋がっていて、つまり教祖が独裁的だから信者は盲従するようになり、その結果がマインド・コントロール。自由な思考を奪われてしまい、ついには被害が生じる――という流れです。

しかし冷めた頭で考えれば、正統的なすべてのキリスト教が上記5つのキーワードにぴったり当て嵌まります。怪しげな大工のオッサンを至高の教祖に仕立て上げて(1.独裁的教祖)、神の子だのキリストだのと信じ込ませ(2.盲従する信者)、すっかり本気にさせ(3.マインド・コントロール)、「君らはみんな罪びとだ」と執拗に繰り返して罪意識を植え込み(4.自由がない)、什一献金でカネを吸い上げる(5.必ず被害が出ている)という図式。――カルトの定義そのものでしょうが。にか

伝道番組「ハーベスト・タイム」1218回

「第45回聖地旅行特集(7) メギド」  

ヘブライ語ではイエス・キリストを「イェシュア・ハメシア」というのだそうです。イェシュアは知っていましたが、「ハメシア」は初めて聞く単語です。1つ知識が増えました。毎週番組を見ている甲斐があったというものです。

ピラトが空想上の人物ではないかと疑われていた時代があったらしく、しかし今回の訪問の地メギドで総督の名前を刻んだ石碑が見つかり、確かに歴史の中の人物であったことが確認されたそうです。

そこで中川牧師は「聖書は歴史書だ」といつものように胸を張りましたが、聖書は「歴史書」ではありません。正しくは「虚実綯交ぜの書」。ピラトは史実でも、キリストの奇跡は創作です。中川先生、公共の電波を使って嘘を言わないように。にか

伝道番組「ハーベスト・タイム」1191回

「目を閉じて心を開いて」 三宮 麻由子さん。聴覚に障害のある方だそうです。

中川健一牧師のメッセージはマタイによる福音書から。「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない」(10章29節)。――わが国のキリスト教人口は1パーセントから0.8パーセントに落ちましたが、それも父のお許しがあったからでしょうかねぇ。にか

(因みに韓国のクリスチャン人口は20%?25%だそうです。)

パンのみみ

「人はパンのみで生きるにあらず、神の口からでる1つ1つの言葉によって生きるのである」と聖書は書いていますが、神の言葉など無用の長物です。「パン」と「神の言葉」のどちらが大切かは、今日の朝日新聞(朝刊)に載った短歌がよく語っています。

「パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて1日生きる」
                                 (ホームレス 公田耕一)。

不景気の果てに寒空の下に放り出された人々にとって、神の言葉みたいなものに何の価値があるでしょう。パンのみみよりも神の言葉の方がもっと大切だと主張するクリスチャンがもしいたら、その人は間違いなくバカです。にか

キリスト教系私立学校の高い授業料 参照)
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